「ヘレンケラー」の芝居に参加しました。
本格的な新劇は初体験です。
まあ、今までならおそらく進んでやりたいとは思わなかったジャンルのお芝居です。
ガラスの仮面で北島マヤがやるのを読んだくらい。
なんで?
よりによって?
ヘレンケラー??
タウリンを良く知っている方ならそう思われるかも知れない。
・・・きっかけは実に意外なことでして・・・
あの装置の を、あの場所に持って行ったのがすべての始まり。
その後・・・劇団アルフェージュの主宰澤井るあさんに協力を求められまして。
稽古を見てくれる人を探してる、とか。
私は、しばらくは芝居というものに関わるつもりは無かったのですが、
公演の趣旨を聞き、・・まあ、それなら・・あくまで社会奉仕(子供たちのため)と言う目的であれば協力しましょう、ということで。
本番の舞台。いかにも「新劇」という感じの写真
しかしまあ・・・本当に時間が無くて・・・
とにかく、考える暇もなかった、というのが本当の所だ。
毎回毎回の稽古で、出来ることをやる。
公演の為に、しなければならないことをする。
基礎訓練は全体的にはほとんど出来なかった。
舞台の上で自然に大きな声がでるようにする、そのくらい。
アンサンブルとか、効果的なアクションとか、細かい役作りとか、色々言ったりやったりする時間はほとんど無かった。
雪の降る日の初通し稽古…。
良くあの日みんな集まったものだ。
そして・・実際の舞台で完リハをする間もなく本番・・・。
感動の名場面!
・・・そして、公演は終わった。
私自身は自分でお金を出してヘレンケラーの芝居をみたいとは思わなかった(今回は入場無料ですが)。
彼女自身の生涯に対しても全く興味もなかったし・・
第一いわゆる「新劇」と言うもの自体、自分には関係ないものだと思っていた。
それでも芝居はやはり芝居だったりするわけで、やり方によって面白くする事はいくらでも出来る、ということがわかりました。
そういう意味で、限られた時間で出来るだけの事をやったつもりではある。
今回やりながら思っていたことは、芝居というものを通して、何かしらの社会貢献ができれば、ということ。
これはしま工やタウリンをやっていた時には無かったモチベーション。歳を取ったということなのか。
・・・さて、芝居の内容はどうだったのか?
まあ、自分の演技を含め、反省しだしたらキリがない。
でも、お客さんの反応は上々だったようだ。
アンケートでは感動しただとか、素晴らしいとか、色々書いていただいた。
そう、いいところも結構あったのだ。
ラストシーン。ヘレンはついに・・
前半は舞台転換に時間がかかり、ちょっともたついたが、後半は照明と効果音楽のタイミングもばっちりで芝居に流れが出来た。
ヘレンは時間がなくてろくに稽古が付けられなかったにもかかわらず難しい役どころを存在感ある演技をしてくれた。
アニーを演じた澤井るあは、何かが憑いたような迫力ある演技を本番でしてくれたし、
ジミーの最後父の過ちを正すシーン、迫力あって超かっこよかった。あれをやれる人はなかなかいないよなあ・・と思う。
ケートはさすがというか、セリフ回しはやはりうまい。安心して見ていられるものがあった。
アナグノス、エブ伯母もいい雰囲気を出していたし、盲学校シーンの生徒たちも可愛い魅力を出していた。
バーナ婦人、パトリシア、ソフィア。原作にはない3人の役もそれぞれが独自の個性を出していた。
・・こうしてみると、参加者全員の力が集結して、芝居にある大きなパワーが込められていたのでは・・とも思う。芝居の完成度云々よりも、それが人の心に届いたのかな、という気がする。
もちろんあと、2回くらい通し稽古が出来る時間があったなら芝居のクオリティが上がったことは確実ではある。
しかし、今回に関しては「芝居が出来た」ということ自体がほとんど奇跡に近いかもしれない。
今振り返ればそれぞれのプロセスであとわずかにタイミングずれていたら(公演は)あり得なかった、ということばかりなのである。
本当に、一番初めから、終わりまで。
何か人知を越えた大きな力に導かれていたのか・・そんな事を信じたくなる出来事でした。