私の立場はスイスか!


大きなプロジェクトがあって、
何とかお願いしますと頼まれて
でもノーギャラだとする。
大人なら、それをやることによっての多少の現実的なメリットは欲しいものである。
と言うか、考えるものである。
ましてやそれでギャラを普段得ている人は。
例えば、自分の普段やっていることの広報だとか、人脈作りだとか。あるいは、こんないいことを無料奉仕でやってますよと御披露目するとか。
それをあからさまにやるかどうかは問題となるところだが、
それ自体は責められるものではないと思う。

…プロジェクトはなかなか思うように進まなかったのかもしれない。でも何とかしようとは思っていたかもしれない。プライドがかかっているなら尚更である。

さて、依頼人の方はどうか?
その人は是が非でもそのプロジェクトを成功させたいと思っている。
命を賭けている、といってもいいくらい。
本当は自分がリードしてそのプロジェクトをやりたいが、あまりにも大きく、どうしたらいいかわからない。
プロジェクトはその人の思うように進まず、不安が募る。
(依頼された方の)あの人は本当に大丈夫なのか・・?
あいにく相手は別のプロジェクトで忙しい・・不安は極限に・・

…何が言いたいかというと、人はもっとお互い理解し合う必要がある、ということ。
お互い、にね。
元々性格の違うものが別々の立場で生きているわけだからね。
人は複雑なものなのである。
私のような単純な人間がいうのも何だが。

○○さんの言うこと(あるいはやること)、わからない…
こう言うのは簡単である。

でもなぜそんな事を言うのか?
彼や彼女にも理由があるはず。
もしかしたらむしろ好意かもしれない。
それを想像したり、話し合ってみたりする努力を怠ってはいかんのだ。

やたら自分だけが正しいと思うと、後は相手を排斥するか、非難し続けるか、戦争するしか道は無いのである。

人を呪わば穴二つ。
ダークな想いは身を滅ぼす。

最後に。このお話はすべて私の想像によるものです。

2011.12.18